『箱船の航海日誌』ウォーカー(光文社古典新訳文庫)

「箱船」という文字からわかるように、聖書のノアの方舟を題材とした物語だ。

 

聖書では、神は人間の堕落に怒って、大洪水を巻き起こし人類を滅亡させようとするのだけど、品行方正なノアだけは助けようと、ノアに巨大な方舟をつくるように命じる。

ノアが600歳のときにいよいよ大洪水が発生する。601歳のときに大地の水が乾くので、およそ1年間ノアの一家と動物たちは方舟のなかで過ごすことになるのだが、その間の様子は聖書には全く書かれていない。

いくら巨大とはいえあらゆる動物のつがいが乗り込んだ方舟で、1年間なにも起こらないはずはない。

動物たちはどのように過ごしていたのだろう。箱舟での生活で彼らはどう変化したのだろう。

興味は尽きない。

 

ウォーカーが描くのはそうした箱舟での生活である。

登場する動物たちが非常に個性的で、またイラストも可愛らしくワクワク読み進めることができる。

ところで、この本を読む上で「悪」というテーマを見過ごすことはできない。

もともとは人間の悪を一掃するための大洪水なのだが、皮肉なことに箱舟での生活を過ごすなかで徐々に別の悪が醸成されていくのがわかる。

箱舟に乗り込んだ動物の中にスカブという醜く暗い動物がいる。

スカブは過去に偶然うさぎを食べてしまう、つまり肉食を知るのだが、そのときに彼の中の悪が奔出する。

唯一肉食を知るスカブが、純粋無垢な動物たちと生活を共にする。

スカブに唆されて、トラやオオカミといった動物たちが悪に目覚めていく。

はやく地上におりて、ほかの動物を食い殺したい。そんな殺伐とした雰囲気が箱船に漂い始める。

自然と食べる側と食べられる側が分かれてくる。

小動物たちは怯え、なかには箱舟から脱出する動物まで現れてしまう。

地上に降りたところでこの本は終わるのだが、小動物たちよ頑張って生き延びよ!と願わずにはいられない。

 

さて、ここでは動物たちの肉食が一つの悪として提示されているが、もちろん人間もその射程に入る。

この本が書かれたのは人類が総力戦を経験した第一次世界大戦のあとである。

悪の念頭には戦争、殺人があったに違いない。

殺人がいけないというのは当然のこととして受け入れられているが、悪は殺人に限られない。

人はどういうときに悪を感じるだろうか。

なにかの規範に違反するとき人は悪を感じるのではないか。

たとえば、かつてであれば同性愛は非常にタブーと感じられていた。

そういう空気のなかで、同性愛に目覚めてしまうとその人は悪と感じるのである。

規範と欲求のせめぎ合いが行われているのだが、規範がいつも正しいわけではないのでややこしくなる。

さらに悪というのは厄介なもので向き合えば向き合うほど大きくなってしまう。

そうして抑圧された感情は刺激を与えられると爆発する恐れがある。膨らんだ風船のように。

それが無意識で行われている場合には危険性はさらに高まる。

 

この物語は、悪についていかなる教訓をもたらしてくれるだろうか。

私たちの心には悪が潜んでいること、さらには、悪を克服してもまた違う悪が生じる可能性があること。

これらを自覚することで悪とうまく付き合っていく必要があるということか。

しかし、悪はほんとうに悪いことだろうか?

先にも述べた通り、規範が間違っている場合も少なくない。

そもそも規範など立てることができるのか、という問題すらある。

人間が社会で生きていくなかで、規範というものは欠かせない。しかし、むしろそういった規範が人間にとって必要悪であり、自分の素直な欲求が善であるという考え方もできるのではないだろうか。

あまり厳格に欲求に対処するのではなく、ある程度自分の感情を認めてやる、そういう態度があった方が世の中上手く回るような気がするのだ。

とんでもないところに落ち着いてしまった気がするが、「悪」について考えさせられた本でした。